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就職して一年

 就職して一年が経った。まるで成長していない。もっとインプットすべきだったと思う。最近の風潮としてインプットを馬鹿にしてアウトプットに重点を置くというのがあるように思うけれど、そんなものはインプットができないバカの負け惜しみでインプットしたものを元に結果を出せる人間が一番すごいに決まってる。

 インプットの手法として、読書というのがあると思う。読書とひとえにいってもエンタメ小説から純文学、新書、専門書など様々な本があってそれぞれで趣が違う。僕が本を読んで成し遂げたいこととして、人間としての格を上げることと新しい情報を得ること、素晴らしい文章の作法を学ぶことの三つがある。まず一点目に関してはこれは要は、三島由紀夫を読んでる人間と読んでない人間、村上龍を読んでる人間と読んでない人間、羽田圭介を読んでる人間と読んでない人間どちらが格好いいかという話である。読んでる人間の方が格好良いに決まってる。そして東野圭吾石田衣良伊坂幸太郎を読んでる奴は格好悪い。「教室内カースト」「パリピ経済学」を読んでる奴はかっこわるい。「日本会議の研究」を読んでる奴はかっこいい。まぁいろいろこういう基準があってその格好良い側の本を読みたいということである。これは問題ない。問題なのは、新しい情報を得ることと素晴らしい文章の作法を学ぶことの両立の難しさである。前者は新書を読むことで、後者は純文学を読むことで成しうると思っているのだが、新書の大半はバカが書いているし、頭のいい人が書いていてもバカに向けて書かれているので素晴らしい文章とは程遠く、純文学に情報性を求めるのは酷である。そうすると純文学と新書の両方を読む必要が出てきて面倒くさい。なにか大きな話に展開すると見せかけて、これだけの話である。

 余談ではあるが、僕の文章は小学生の時に読んだ週刊誌の町田康の連載の文章に多分に影響を受けている。詳細は全く覚えていないが、当時あれを読んだ僕は面白い文章とはまさにこれだと思い、町田康の著作を母親にねだって買ってもらいすべての著作を読破したということもなく、まさにこれだと思うにとどまっていた。最近このことをふと思いだし、町田康の小説を買って読もうと思ったが、読み始めて3ページくらいで理解できなくなって読むのをやめた。

 この内容が就職して一年という節目の日記に相応しいとは到底思えないが、ぐだぐだと自堕落な生活を送ってきた人間が社会人一年目の節目に書けることはこれくらいしかないということである。職場に来る後輩は全員カスみたいに劣ったやつでありますように。。。