青春0キロ

 ゴールデンウィーク暇過ぎ問題というのがある。あまりに暇なので社会性を身に付けようとmiitomoというアプリをダウンロードしたが、フレンドが一人しかできず、彼と罵詈雑言をぶつけ合っただけで終わった。
 
 
 このゴールデンウィークでいっぱい映画館に行った。ちはやふる下の句、ズートピア、レヴェナント、シビルウォーなど話題作は一通り見たけど一番面白かったのが「青春100キロ」だ。
まず青春100キロのあらすじを説明しようと思う。上原亜衣が昨年末で引退した。彼女の引退および引退作の製作に密着したドキュメンタリー映画が青春100キロだ。その引退作というのが、上原亜衣に生中だしするために100人の素人男性が彼女を追いかけるというものだ。彼女を捕まえた人は生中だしできるが、上原亜衣を守り生中だしを阻止するために上原亜衣守り隊が組織され、孕ませ隊を妨害する。その孕ませ隊に応募した素人男性のうち、一人だけに上原亜衣への生中だしの条件として異なる条件を課せられた。それが二日間で「100キロ」走る。ということだ。以上が映画の前提だ。で、中身はほとんどが100キロ走る青年ケイ君と、それに同行するスタッフの話で、そこに時折上原亜衣のインタビューだとか、孕ませ隊と守り隊のお祭り騒ぎが挿入されている(AVだけに)。
 
 
 で、じゃあ何がそんなに面白いのかということをこれから書いていきたい。まず面白いのがこの映画で見えるAVというものの異常性だ。引退するからって100人も集めて生中だしさせる必要は全くない。生中だしするために100km走るケイ君もおかしい。青春100キロという題名だけどこんな汚ねぇ最低の欲望に青春なんつー綺麗な言葉付けんなよと思う。最後、AV撮影が終わる時の上原亜衣引退間際のシーンも異常だ。AV監督の「上原亜衣に思いを伝えるんだ!みんな!!!」みたいな安っぽいセリフに素人男性が感動して「亜衣ちゃん大好きです!」ってデカい声出しながら下半身裸でちんこシゴいてる姿には比喩抜きで狂気を感じた。その場の感動の大団円的な雰囲気にも狂気が満ちている。ほめ言葉としてではなく本当に、リアルな、悪い意味でとち狂っている。最後全員で上原亜衣に感謝のぶっかけをする段になって、なぜか守り隊の服着たやつが先頭きって上原亜衣に射精していたのにはもはや笑えるを通り越して恐怖さえ感じた。上原亜衣のインタビューや彼女の言動にもAVの世界のリアルを感じさせられる。愛されたいからAV女優になったとか、スタッフミーティングのギスギスした感じとか。
 
 
 この映画でもう一つ面白いのが、生中出しするために二日間で100キロ走ってヘロヘロになるケイ君と、楽しげにおにごっこのようなことをして適宜上原亜衣に生中出ししつつ最後には急ごしらえの安っぽい感動に浸るAV製作現場の人たちの対比だ。生中出しという目標に向けて100キロという途方もない距離を孤独に走っている人がいる一方で、みんなで楽しく上原亜衣とおにごっこをしながら簡単に生中出ししている連中がいるという構図、僕はそこに社会そのものを感じてしまった。そして僕は猛烈にケイ君側の人間であると感じてしまった。皆が楽しくそれなりにやってる横でそうじゃない険しい道を選んで努力した、という想いがある人なら確実にケイ君の頑張りに胸を締め付けられる。必ずしもケイ君が不幸だというわけではない。ケイ君は自分のいないところでおにごっこに興じて生中出ししている連中がいることに対して何かを感じている様子はないし、彼はとても楽しそうに「いやぁなんかあとちょっとで生中出しできるって考えたら勃起してきちゃいました」とかのたまっているわけ、脚を引きずっているのに。最後にはちょっぴりいいこともある。ケイ君は100キロ走ったご褒美として、上原亜衣の最後の相手として生中出しすることになるのだ。彼だけにちゃんとしたベッドが用意され、ほかの人たちのように何かの合間という感じではなく、ちゃんと向き合って一対一でセックスできた。
ケイ君が上原亜衣に生中出しを終えると、上原亜衣は部屋を後にする。外には亜衣ちゃんありがとう!的なメッセージの書かれたTシャツを着た100人の素人男性とスタッフが待ち構えており、亜衣ちゃんへの感謝の言葉を大きな声で叫んでいる。一人部屋で着替えていたケイ君はいまいち事態が呑み込めず騒がしい集団を見て不思議そうな表情をする。ケイ君は上原亜衣引退に際して、最後に彼女に生中出しした人物であるにもかかわらず、「上原亜衣引退作の製作」という大きなそして安直な物語の中に入ることはなかったのである。
 
 
 僕は上でAV女優に生中だししたいから100キロ走るという企画に「青春」というきれいな言葉を使うなと書いたが、一方でこの映画はどうしようもなく青春であると感じた。正確に言うと青春ではないかもしれないが青春に向けて走っている男の物語だと感じた。僕は22歳彼女がいたことない童貞なんだけど、AV女優に生中だししたくて100キロ走るケイ君をとやかく言うことはできない。むしろ尊いとさえ思う。僕は22年間生きてきて女性とセックスするための努力なんかひとつもしてこなかった。もちろんAV女優に生中出ししたくて100キロ走るのと、好きな女の子と付き合うために色々アプローチするのは違うかもしれない。いやたぶん全く違う。でもケイ君は100キロ走っている。僕がダサくなりたくないという一心で何もせずおどけていただけの間にケイ君は100キロ走っている。少なくとも、僕とケイ君の差は100キロ分あるんだ、と感じた。僕はまだ1キロも走っていないけど、これから、今から走り出したい、走り出さなきゃと思った。だから青春0キロ。以上。

大学を卒業した

 大学を卒業した。大学では本当になにも勉強しなかったのでこれと言った感慨なんかないだろうなぁと思って卒業式には参加せず、学位記だけもらいに行った。周りはスーツや袴ばかりで、パーカーにジーパンで行った僕は大層浮いてしまった。浮きすぎて友人に「お前留年したの?」って言われた。端的に言って卒業式に参加しないという選択は本当に間違いだったと思った。大学で勉強なんか全くしなかったけど、僕の日々の生活は大学に依存していて、大学から卒業するというのはそういった今までの生活からの決別という意味で非常に重要なポイントだったな、とスーツや袴の人で溢れかえった「旅立ちの日に」感が漂う大学にいて痛感した。そういうイベントにしっかり参加して来たるべき社会人生活に対して心を整えるべきだったなと。

 

 高校が大好きで、大学入学時は大学なんて大した思い入れわかないんだろうなと思っていたけど今では普通に大学も好きだし、今後は会社も好きになっていくんだろうなと思う。今はもう中学高校時代のことなんて思い出せない。思い出せないというと嘘になるけど、あの頃は今とは全然違う日常を送っていたとおもうけどどう違うのか具体的に分からないし、いつのまにか仲のいい友人も高校時代とは違ってきてる気がする。なんというか変わらないと思っても変わってしまうし変わっているのに何が変わっているかはイマイチわからないんだなという。

 

 なんかカッコいいことを書こうとしすぎて最初にブログに書こうと思ったことを今まで忘れていた。要はちゃんと生きよう的な。ちゃんと生きるというのは卒業式に出たり、そういうこと。

 

 社会人になったら僕は地方に配属される可能性が高いわけだが、そうなるともう昨日まで会おうと思えばあえていた人たちとの距離が一気に広がってもうなかなか会えなくなるんだなという。首都圏の高校大学なので高校卒業しても別の大学の高校同期と会うなんていうのは普通だったけども、今回は違うんだなっていう。今までに比べてかなり会い難くなる。それに今更気づいてかなりしょーもない時間を過ごしてしまった。まとまりがなくなってしまったけど以上です。やっぱり卒業式ともなると感傷に浸りたくなるね。

自己満足するな

 今日はスコットピルグリムVS邪悪な元カレ軍団を見た。

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ガリヒョロオタクが可愛い彼女の元カレと戦う話だった。映画自体は面白くもつまらなくもなかったけども、好きになった子がヤリマンだったらいやだなって切実に思った。自分の好きな子がヤリマンなんて信じたくないよね。僕も能年さんがヤリマンだったらと思うと普通にゲロ吐きそうです。なんていうか言葉にできないんだけど男とやりまくっている女が嫌いというだけじゃなくて、彼女にそうさせる精神構造だったり外部環境だったり何かは分からないけども、何かが存在するわけで、そういうことを色々と考えると悲しいよね。そんな彼女を抱きしめてあげたいほど悲しい。あぁ能年さんがヤリマンだったら自殺したいな。嘘。自殺はしないけど抱きしめてヤリマンはやめてもらってしかるのち結婚したい。それと思ったのが邦題のセンスのなさ。英題は「SCOTT PILGRIM vs.the world」なわけで、スコットは世界と戦っているんですよね。彼女がヤリマンでなければならなかったクソみたいな世界と。もちろん想像ですけど。まぁなんつーかそういうところ考えたほうがいいよね。ゼロ・グラビティとか特に。あれの邦題考えた奴映画最後まで見てねえだろ。

 

 お昼にお弁当を買った。ファミリーマートのタルタルチキンのトルティーヤとスタミナ丼を買った。トルティーヤのほうは表から見える部分は鶏肉と野菜がいっぱい詰まってるいるように見えるんだけど中身がスカスカ。サンドイッチとかでもあるけど逆にどうやってこれつくってんだよっていうね。中々難しそうだし、そもそも良心の呵責とかないのかねっていう。スタミナ丼は完全に伝説のすた丼のパクリで美味しくもなく不味くもなかった。バランの上に汚らしい漬物が申し訳程度に乗っかってたんだけどいらないんだよね。あれいりますか?完全にファミリーマートの自己満足でしょ。合成着色料でありえないくらい真っ黄色にしたたくあんをちょろっと載せて喜ぶ消費者がいるか!自己満足に消費者のお金を使うな!バランの上に載せたたくあん禁止!まぁバランって言いたかっただけです。バラン、あの緑色の葉っぱみたいなやつね。バランってなんだか汚い感じがする。

老人を裁け!!!

 前回のブログを読んでいて、ですます調は良くないと思ったのでですます調をやめる。やっぱりですます調だと愛が伝わらないよね。そうLOVEが伝わらない。このブログは愛を伝えるブログだから、ですます調のせいで愛が伝わらないのは致命的なので、ですます調はやめる。愛を伝えるというと非常に漠然としていてなにも伝わらないと思うのだけど、ようは世界は希望に満ちていて生きるに値して明日は今日よりいい日だっていうことを僕の言葉で表現していき、みんなでその雰囲気を分かち合いたい。

 

 今日観た映画はそんな僕の思いとは全く相容れない「裁かれるは善人のみ」という映画。

キリスト教について造詣が深ければ色々考察することも出来るのだろうけどあいにく不真面目な文学部生の代表であるところの僕はキリスト教についての知識がほぼ0なのでそういうこともできず適当なことを書こうと思う。あらすじを極めて大雑把に書くと、善人が悪人に囲まれて一人バカを見るという話。終始主人公は不条理な苦しみにあい続け最後まで希望がない。市長や弁護士に食い物にされる主人公を見てドラゴン桜の「バカは一生搾取され続ける。搾取されたくなければ勉強して搾取る側に回れ」みたいなセリフを思い出した。主人公はバカだから搾取されて市長や弁護士は勉強したから搾取するというわけ。搾取したければ勉強するしかない。まあでも搾取されたくないからといって搾取したくもないよね。LOVE&PEACEだから。夢も希望もない最悪な映画だったけど面白かった。

 

 まぁ映画の話は本題ではなくて、ブログの題名に書いたように、老人を裁いてほしいという話をしたい。今日映画を見に行って愕然としたのが老人の多さ。8割9割老人だった。映画館なのか健康ランドなのか分からないレベルで老人しかいなかった。まぁそれはいいとして、こいつらのマナーがひどい。隣のジジイが上映中にいびきかいて寝ててマジでぶん殴ろうかと思った。寝るなら老人ホームのベッドで寝ろ。上映後もハロウィンの次の日の渋谷かと思うほどに床にゴミが散乱していて、老人もろともゴミ箱に入れたほうがいいなとしか思えなかった。僕は愛を伝えたいけど、老人に分けてやる愛はない。さすがにFUCK&DEATHって感じ。もう僕はとにかく老人が嫌いで僕のばあちゃん以外の老人は全員死んだほうがいいと思ってる。電車でも絶対に老人に席を譲らないって決めてる。なぜなら老人が疲れて早死したほうが日本のためだから。しかしながらこないだキングスマンを見て頭の中がmanners maketh man.で支配されている時に電車で座っていたら、前に老人が来たので一流のスパイ志望の僕は席を譲った。おばあさんはなんかわけわかんねぇ事をゴチャゴチャ言いながら僕に感謝してきた。どうやら初めて乗る電車でよく分からない中で席を譲ってもらって嬉しいみたいな事を言っていたようだった。そのクソババアは高田馬場につくとスタスタと降りて行き何事もなかったかのようにドアのすぐ近くの階段を下り電車を乗り換えていった。何が初めて乗る電車や!乗り慣れ過ぎて乗り換えに近いドアの位置まで把握してるじゃねぇか!もうゼッテェクソ老人どもに席なんか譲らねぇ!!!

バクマン。はサカナクションのPV

 映画というくくりでブログを始めるにあたって題名だけそれっぽくしました。とはいえ中身でも映画の話をしていこうと思ってます。

 

 先日床屋に行ってきました。そこの床屋さんは僕が中学生の時から通っているところで6年とか7年通ってます。ほぼ毎回同じ人に切ってもらっていて、大学受験や大学生活、就職活動の話なんかも適宜してきた間柄です。その人に君って挫折したことないよね~って言われました。大学受験でも就職活動でも首尾よく第一希望のところに決まって確かになんというかいわゆる挫折経験みたいなことはないかもしれなぁと思いました。ちなみに僕はその6年間だか7年間だか髪の毛を切ってもらっている美容師さんの名前を知りません。

 

 僕には明確な挫折経験はありませんが、挫折感は感じています。常に感じています。渋谷のセンター街を一人で歩いているときや、大学でカップルの横で講義を受けているときや、電車で隣に人が座らないときなんかには、特に強く挫折感を感じます。まぁ大学の講義なんか受けないし隣にカップルが座ったこともないんですが、とにもかくにも僕は常に言葉にできない鬱屈とした挫折感というか敗北感で体を圧迫されています。面白くなりたくても僕より面白い人なんか無数にいるし、頭良くなりたくても僕より頭いい人は無数にいるし、格好良くなるのは諦めてます。さして深刻ではないですけど、決定的に満足ではないんです。僕はそんな感じで具体的な挫折経験はないですけど常日頃から挫折してます。そんな人いませんかね?そんな人にオススメの映画がスーパー!という映画です。

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スーパー!の設定はだいたいキックアスと似てます。冴えないおっさんが正義に目覚めてヒーローのコスチュームを着て自分の目に入った悪と戦うというのが大まかなストーリーです。キックアスはオタクの妄想です。オタクが活躍し可愛いガールフレンドを手に入れ学校の人気者になる。でも実際オタクは活躍できないし、万が一活躍したとしても学校の人気者にはなれず、可愛いガールフレンドも手に入りません。可愛い子は格好いいラクロス部やアメフト部やサッカー部の男と付き合うと相場が決まってるんです。スーパー!はそんな我々オタクの人気者でもなく、可愛いガールフレンドもいない人生を肯定してくれます。我々オタクの人生も幸せな瞬間に満ちた素晴らしいものであると告げてくれる映画なんです。人生は素晴らしいんです。

 

といってもその映画を見た僕がなにも変わってないように、映画をみたから世界への見方が革命的に変化して人生が楽しくなり小さなことにクヨクヨしなくなり常に前向きになるというようなことはないです。まぁでも一瞬でも人生の素晴らしさを感じたらそれって素晴らしくないですか?素晴らしいことですよね。非常に素晴らしいです。つまりはそういうことです。オナニーみたいなもんです。オナニー好きですよね?僕は好きです。

 

 映画にサラっと触れつつ日常を面白い文章で書き綴るようなブログを書きたいと思っていたんですが無理でした。スーパー!最高!